落語も生が一番(2014/02/08掲載)


■宝くじ文化公演

会館主催事業の際には、ほぼ毎回お客様アンケートを実施しています。本当に様々なご意見等をいただき、毎回大変ありがたく拝見し感謝しています。理由はわかりませんが、当館のお客様はアンケートの提出率がとても良く、ありがたいことだと思っていますので、今後も忌憚のないご意見ご感想をよろしくお願いいたします。

 さて、そのアンケートですが、先日開催した「東京フィル」の際に次のようなご意見がありました。要約すると「オーケストラの演奏会に来て、宝くじの宣伝を聞かされるとは思わなかった。不愉快だ」というご意見でした。この件について一点だけ皆様に説明させていただければと思います。

 今回の演奏会は、宝くじの文化公演というもので、宝くじの助成を受けて開催した公演でした。この助成金は、大雑把に言うと、出演料等は宝くじ側が負担するので、その代わりに宝くじの宣伝をしてくださいというものなのです。その宣伝方法は事細かに決められていて、何人かのお客様が気になったという場内アナウンスも、その決め事に沿ったものでした。宝くじの助成を受けたおかげで、一般3000円という低価格でご提供できました。せっかく演奏会にご来場いただいて、不快な思いをさせてしまったことについてはお詫びいたしますが、こういった事情があるということもご理解いただければ幸いでございます。


■柳家三三独演会

柳家小三治の著書に「落語家論」という本があります。その中で小三治は「教わった通りやって一流と言われたり大家と言われた噺家、いや一人前と言われた噺家はどこにもいない」そして「題材だけが古典で、いつも新作落語だったんだ」と書いています。落語が好きだと言うと、「落語って色んな落語家さんが同じ噺とかするんでしょ?同じ噺を何度も聴いて面白いの?」と聞かれることがよくあるのですが、私はその疑問に対する答えは小三冶師匠のことばにあるんじゃないかと思っています。

長年、といっても幕末くらいからですが、演じられてきたいわゆる古典落語というもの、それはあくまで「あらすじ」的なものであり、決して書かれたものを読み聞かせている芸能ではないということなんです。演じる噺家によって演出も噺に対するアプローチも相当違うし、時に全く別の噺に聞こえることもあったりするわけで…。他の芸術・芸能でも、例えば変わらないように見えるクラシック音楽も時代や演奏家の個性によってずいぶん違うし、ジャズのスタンダードナンバーだって歌舞伎だって演者による再創造という点では同じです。つまり、落語を聴くということは、その噺を聴くというよりは、その噺家の個性と話芸を愉しむということなのだと思うわけです。なんて理屈っぽいことを取り留めもなく書いてしまいましたが、百聞は一見に如かず。よくわからないなぁって思う人ほど、一度生で落語を聴いてみることをオススメします。きっと面白いとおもいますよ。

 そんなわけで告知をひとつ。『おおだて特選落語会vol.22〜柳家三三独演会〜』。3月1日(土)18時30分開演、大館市民文化会館中ホールにて開催です。三三さんは先述の小三治師匠のお弟子さん。正統派のホープと言われる端正な口調と美しい高座姿を存分に堪能できる落語会です。チケットは全席自由席、一般2000円、高校生以下500円です。当日各500円増となりますので、お求めの際は前売りをオススメいたします。皆様お誘い合わせの上ご来場くださいますようご案内申し上げます。(山)